|
1 2011年 11月 08日
編集者とはなんぞや。いつも言っていることだが、あってもなくてもいい仕事。アーティストでも作家でもない。何にも創ってないのだ。ものを創り出す人たちのお手伝いをしているだけなのだ。たいした仕事ではない。世間では横文字でエディターと呼んでいるみたいだ。アホ、ボケ、カス、死ねと思う。
編集者は作りたい本が溢れんばかりに出てきて、どうしようもなくその本を作ってしまう。作らざるを得なくやってしまう人のことを編集者と呼ぶ。のほほんとボケーっとして生きてる輩がやれる仕事ではない。作家やアーティストは時には猛獣である。そういう人たちと対等に話ができないといけない。そうでないと呑み込まれたり、喰い殺されたりする。作家がいい人だとは限らない。いい人もいるがそうでない人もいる。考えてみて、作家がいい人である必要があるのか?いい人でなくてもその作家が創り出す作品が素晴しければいいのだ。いい人なんだけど作品がいまいちなんだよね、という作家と仕事がしたいか? 頭で考えろ、体で感じろ、想像しろ、できないやつは編集者なんかやめろ。編集者になるために何をしなければならないのか、どんな編集者になりたいのか、少なくとも僕は考えてきた。僕の家には本がなかった。学校も出ていない。そんな僕がたまたま出版界にきてしまった。そこで生き残るために何を考えてきたか。普通に同じだけの本を読んでも今からだと遅すぎるし、知識もない。 例えば作家に原稿を依頼したい。みんな何冊もその作家の本を読んでたらたら原稿を依頼するのを見ていた僕は、一冊読んですごくよかったことを手紙でその作家に伝えて原稿依頼してきた。思いっきり感動したことを手紙に綴った。作家はアホやない。思いっきり感動したことを伝えれば、それは伝わるんだ。どう何を感動したかが大切なんだ。感動もしていない作家には手紙も電話もしない。その作家が有名とか無名なんて関係ない。有名な作家が零細の出版社に書いてくれるか?基本的には不可能に近い。でも不可能を可能にするには何をしないといけないのかを考えなければならない。人はそれぞれ違う。方程式などない。自分の方法は自分であみだせ。 ▲
by last_diary
| 2011-11-08 21:45
2011年 11月 08日
僕は日本の被差別部落に生まれ育った。悲しいこともつらいことも楽しいこともあった。みんなと同じような日常があり、社会的には非日常と思われることもあった。僕は50歳になって、これは僕が最期に残しておけるメッセージだと思っています。もしこれを読んでくれて色々考えたり、元気になってくれればうれしく思っています。
僕は自分を編集者だと思ったことがない。しかたがないから一応職種をきかれると編集者と言ってるだけだ。みんなが僕のことを“しゃちょー”と呼んでくれることが実はぴったりくる。「社長」つまり社の長ではなく「しゃちょー」なんだ。 出版界に生きてきてもう25年以上になった。ギャラリーも10年近くになった。麻雀・競馬・カジノなどギャンブルとかをやってきて、40年以上になる。色んなことを経験してきた。馬喰町を閉めて京都に引っ越して三ヶ月になる。東京や京都、今までのこと、これからのこと、今のことを書いていきたいと思っている。 ▲
by last_diary
| 2011-11-08 21:34
1 |
ファン申請 |
||